Pha 知の整理学 アウトプット編 ~アウトプットが最大のインプット編~

Pha さんの著書をまとめてみたい。

そもそも前にも書いたのだけど、

何かしらアウトプットしたい、特に文章を書きたいと思っていたときに出会った。

もともと著者をTwitterで知っていたということもきっかけになった

 

読者として対象とされている人
  • 独学をしたい、してるけど、知識が身についている気がしない人
  • 文章を書きたいけど、書けない人
  • 悩みがあるんやけど、ぼんやりしてる人

上記3つにすべて該当する僕は少し気が楽になった。

やっぱり自分で考えていきたいし、文章をもっと書いていくことで、深く考えることができるようになっていきたいと思ったので、気になる方は本を手に取ってほしい。

以下ぼくなりのアウトプット編に対するまとめ。

そもそも書くことの行為について

彼は書くことで自分の考えがまとまるし、先に進めるとしている。

分かるとは分かつこととはよく言ったもので、認識するには言葉で区切る必要があるのはその通りだと思う。仕事でもなんか忙しいと感じるときタスクを整理して一個一個つぶしていくと案外早く終わったりするものだし。

 

書くと誰かに伝わる。自分の学びが誰かのためになるかもしれない。それってむちゃうれしいじゃん?というスタンスがちょうどいい。

基本的には自分の知りたいこと、気になることを勉強するのだけど、それを誰かのためになるような形でアウトプットする

そういう自分だけで完結させないスタンスが大事。

 

アウトプットする場について

彼はTwitter/ブログを推奨している。理由は以下。

  • 後で検索できる

人間忘れるもので、思い出すには情報に触れるしかない。そのために本を読み返すとかノートを読み返す、同じ問題を解くといった行為が必要なのやけど、本・ノート・問題集などはアクセシビリティが悪い。つまり持ち歩いていないと触れることができない。なのでインターネット上にデータとして残しておこうという話。今やスマホとかPCを持ち運んでいるんだし。やっぱり検索して最短距離で情報にアクセスできるのはWEBの強みだね

  • 他人に教えることができる

誰かに教える気持ちで書ける。これって独学者にとっては非常にありがたいものだと思っていて、僕の場合、経済学とか移民とかそのあたりに興味があるのだけど、そういう話って居酒屋とかで話さないし、あまり話したいって思いもない。でもインターネットの世界には僕と同じような課題感だったり、気になっている人がいるかもしれない、そういう人に対して教える気持ちで書けるのは、楽しいと思う。

 

書くに書けないときどうするか

僕は書くこともそうだけど、話すことも苦手だ。自分の考えとか論理に自信をもてないから。それでもアウトプットすることで、前にゆっくり進めていきたいと思っている。

  • まねる

全部オリジナルは無理なので、つなぎ合わせることが大事ってこと。今回のこのブログについても著書から僕の整理だとか考え、経験をつなぎ合わせることで成り立っている。ゼロから作るのは真似を経てからかなと思う。初心者はどんどん真似ようとおもう。

  • 休む

書けないときは書けない。情報を詰め込んでいったん忘れる。すると思いつかなかったことがでてくることがある。これは僕も仕事で何度かある経験で、お客さんへの提案内容が思いつかなかったとしても数日後歩いてるときとか、風呂に入っているときにハッと思いつくときがある。学術的にもレミニセンス効果として知られているみたい。

  • 短いスパンで区切る

3時間だらだら勉強するのではなく、30分単位で休憩をはさむことで、自分を焦らせる。ポモドーロテクニックと呼ばれるらしい。

まとめ

いろいろと気づきなどは得ることができる本だったのだけど、一番おもしろいのは有名なPhaさんでも僕と同じような感覚だったり、悩みとかを持っているんだなと感じる点だった。

書く人として初心者の僕もゆっくり自分が楽しみながら書いていこうと思う。

知の整理学 インプット編 ~大事なのは情報への接触時間~

2020年3月25日

20:48

 

 

何かしらアウトプットしたい、特に文章を書きたいと思っていたときに出会った。

もともと著者をTwitterで知っていたということもきっかけになった

 

結論としては楽しく読めて、示唆もいろいろあった。

ぼーっとすることの重要性を説いていたり、歩くことで意外と頭の中が整理できることなど、なんとなく実感のあった方法論について述べられていることにも好感が持てた。

ここでは特に示唆に富んだ点を挙げたい。今回はインプット編とする。

 

インプットにはメタ情報が必要。

 

メタ情報とは記憶に残るような経験のこと、(たぶん本来の意味は違うけどニュアンス的には)

例えば、本の内容を写経したり、誰かに説明したり、あるいはメモするときに一文字だけ大文字で書いてみるとか。

要は、少しその情報に上乗せされる経験を作っておく。

その情報を思い出せるフックを作ることでいつかの自分がその情報にアクセスしたいときに思い出しやすくする。

 

確かに勉強をしていると、情報そのものよりもそのときの情景が浮かぶことはよくある。

暗記ものを無理くり語呂合わせで覚えようとしても覚えようとしたことや覚えようとした場所は覚えてるのに肝心の情報そのものは覚えてなかったりする。この例だと結果思い出せてないけども語呂合わせを行わない限り、思い出すこともできなかったのだと思う。

 

もっと広げていうと、情報に対して深く接することが大事ってことじゃないかなと思った。一日の中でどれだけいろんな知識に触れ合えた(試験勉強でいうと何ページ進めれたとか、この章を一日で終わらせたとか)というよりも一つの情報に対する姿勢が大事なんじゃないかなと感じた。結局一言でいうとありきたりだけど、ゆっくり確実に進めるのが最短ルートのような気がした

 

記憶に定着させるには短期間に何回もその情報と触れ合うのが大事。

 

著者はノートを頻繁に読み返すことを推奨していた。僕も勉強するときはよくノートを書いてるけど、今までノートは字に落とすことで何が理解していなくてどこが分からないのかを自分で理解するためだった。いわばそのときに理解することが大事で、振り返ることは一切なかった。そのときにわかったつもりでも時間がたてば元に戻っていることが多かった。同じ間違いをすることもよくあった。

また試験勉強の例を持ち出すと、僕の場合、一つの問題集を何度もやることで知識を身に着けてくことが多い。1周やって、もう1周目解くときには残っている知識もあったが、ほとんどは忘れてしまっていた。効率が悪いといつも思っていた。

 

問題は間を開けすぎることだったということなんじゃないかと思った。

 

細かいサイクルで知識の定着を図る。そのために毎度毎度本に立ち戻ることはできないし、そのたびに問題集を解くのも時間がかかりすぎる。そのサイクルのためにノートを未来の自分のために情報を整理しておくということを推奨している。

あと最近ノートを読み返すということをやってると気づいたけど、ノートに書いているときには気づかなかった課題や疑問が出てくる。そもそもこの内容間違っているなと思うことすらある。細かいサイクルをすることでより深く潜っていけると感じ。

 

これも先ほどの挙げたポイントと同じで細かく何度も触れることで総接触時間を増やす、そうして定着させるみたいなことだなと思った。

 

ノートだと持ち運んでるノート以外へのアクセスが困難になるので、振り返るためにもデジタルに残そうということだったので、まさにここに記している。

ここに書くことで終わるのではなく、この記事を何度も振り返って読んでいくことにしたいな。

同棲人のプチ家出

今日は待ちに待った日であるのに、いつも通りお昼前に起床。延滞料金が発生しているツタヤのDVDを12時までに返そうと思っていたのに。

 

ツタヤに向かったのが昼1時。合計3日延滞したらしく800円ほど取られる。明日やろうは馬鹿野郎という言葉が思い出される。

 

目的地までの途中に本屋へ。今日読みたい本を2冊ほどチョイス。

 

目的地近くの駅に着いたのが3時前。予約していたホテルのチェックインが3時のため、近くのマクドへ。こういうときおしゃれなカフェとか、一人で行けたらいいんやろうなと思いつつ。一人で行く意味が見いだせない、おしゃれな空間は誰かと共有することでのみ意義を為すんじゃないか。コーヒーの味はわからないし、特別建築に詳しいわけでもない。口下手&友達も少ないので、「あそこのお店よかった」など友人に話す機会もない。(仮に機会があったところで思い出せるかも不安。)

そうなれば、おしゃれなカフェはあそこに行ってみたいから一緒に行こうなどと誰かを誘うために存在するとしか思えない。

 

そしてしばらくマクドでマクポのセットを堪能したあと、本日の目的地であるホテルに到着。

 

特にどこに行くわけでなく、1人で夜を過ごして、少し知らない町を散歩したかった。

 

恋人と過ごすのは苦じゃないし、むしろ平凡な毎日に刺激を与えてくれる。毎日なにかしら話題をもって帰ってくる恋人の話を聞くのは嫌いではない。むしろそのとき僕もリラックスできている。

でも恋人といるのは、わずかながらストレスがあるのも否定ができない。生理現象を恋人に見られないようにしたり、好きな音楽を家でかけないようにしたり、帰宅したらリラックスモードにならなきゃいけない。そうしたわずかな気遣いみたいなものを一日、厳密にいえばこの夜だけは忘れたいと思った。

 

今、これを書いてる状態はすごく楽だ。まさに本能のままに書いてる。さっきも夜食を爆買いして帰ってきたところだ。ごはんも適当なコンビニ飯。こういう生活をたまにはしたい。出張時、ビジネスホテルで感じるあの全能感みたいなわくわくと似ている。(というか出張時に気楽だったから今こうしてプチ家出をしている。)

 

まだまだこのプチ家出を堪能すべく今からこのホテルの川のほとりを散歩してこようと思う。

明日はホテルの朝食が待っている。明日こそ早く起きよう。

 

 

 

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。の一章について

本のタイトル長い。。

 

 

一章"なぜ、こんなに格差があるのか?"において、

世界を俯瞰したときに発展段階に差があってなぜ一律に発展していないのかという疑問を持ちかけている。

確かに用意ドン!で一斉に発展を進める場合、多少の差はあれどそこまで大きな違いは生まれなかったのかもしれない。

なんなら本編で取り上げているアフリカは、人類の発祥の地であるため、用意ドン!ですらなくアフリカはスタートダッシュを踏めてるはずである。

アフリカ単一起源説…

地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、そのあと世界中に伝搬していったとする、自然人類学の学説。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%8D%98%E4%B8%80%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

 

そう考えたときになぜヨーロッパがいち早く発展できたのか。なぜアフリカやオーストラリアが遅れをとったのか。

これは本編でも言及しているが、ヨーロッパ人が優れていたからというわけではない。

白人至上主義…

「白人」や「コーカソイド」が他人種よりも優越的であるとの主張

 

貼り付け元  <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%BA%BA%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9>

本編において、アフリカとオーストラリアが遅れをとった理由をそれぞれ提示する。

オーストラリアについては農業が発展しなかったからとする。

つまり生活するのに苦労しなかったからと。逆にイギリスなどは天候も悪いから自然に頼ってるだけじゃ生きていけなかった。その背景に農業を発展させた。農業が発展することによって、生活するのに余剰が生まれるようになる。余剰とは余った作物のことで、それは将来への備えであり、余剰は多くのものを生み出したとする。

特定の集団においてみんながそれぞれ余剰を保存するのではなく、一つにまとめたほうが効率がいい。誰がそれだけ保管しているかを記録する必要があるから、文字や貨幣が生まれたといった感じだ。

オーストラリアはなんもしなくても食い物に困らなかったから、特に農業を発展させるモチベーションがなかった。

 

一方アフリカは大陸の形が農業を発展させるのに不利だったからだとしている。

ユーラシア大陸は横に長くて、アフリカは縦に長い。

アフリカは南北で気候が全然違う。熱帯や砂漠など極端な気候も多い。

そのため農業を発展させた地域があったとしても、それを展開しにくかったとする。一方でユーラシアは横に長いため気候がほとんど同じ。特定の地域で発展した農業を横展開しやすかった。

 

といった感じで発展の違いをその土地の環境(自然や大陸の形)に原因があったとしている。

ここで、疑問が生じる。

土地の環境が発展の差異を既定するなら、アメリカも横に長いし、気候も緯度的にヨーロッパと近いはず。アメリカが1800年ほどまで歴史上に現れないのが説明つかない。

また、古代文明の説明もできない。メソポタミアはアフリカ近くの地中海あたりで発展を遂げている。インカ文明も縦に長く発展を遂げているし、なんなら緯度もアフリカと変わらないだろう。

 

ここで"政治の起源 著フランシス・フクヤマ"を参照したい。

 

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで

 

 

ある自由な部族社会が、侵略の脅威がすぐそこまで迫っているときや、外部からの侵略者たちによって全滅させられる大きな危険にさらされるときに、権威を一人の独裁者に任せる様子を私たちは想像できる。または、疫病が蔓延し、部族社会が消滅する危機に瀕し、一人の宗教的な指導者に権威を委任する様子もまた想像可能だ。(中略)こうなると、国家の形成を真に促したのは暴力、もしくは暴力の脅威ということになる。

つまり、自由に部族社会で生きていた人間が一つの国家を形成するのには生活に危機がせまる条件が必要ということになる。

ただそれだけでは上記で出てきた疑問を解決できない。

つまりアフリカやオーストラリアは暴力が発生しなかった?暴力が発生しても国家形成に至るほどの生活に危機が迫らなかったのか。

もう少し"政治の起源 著フランシス・フクヤマ"の書を読み進めると以下文章にぶちあたる。

政治学者ジェフリー・ハープストはアフリカの多くの地域で土着の国家が発生しなかったのはいくつかの要因が合わさったことによると主張している。彼は次のように書いている。「植民地の王や総督であろうと、独立後の大統領であろうとアフリカで国家を建設しようとする者が直面する根本的な問題は、人口が比較的密集していない荒れ果てた領域で権威を行使しなければならないことだ」。

つまりどんだけ農業が発達しようが、ある程度の人口密集でないと国家形成に至らなかったとしている。たしかにアフリカやオーストラリア、アメリカは地図を改めて確認する必要がないほどに広大な土地があった。特異的に大地溝帯のような大陸において人口密度の高い場所ではアフリカにおいても国家がはやい段階で出現したとしている。

 

結論、一章において農業の発展が国家形成、発展において必要条件だが、十分条件ではない。農業の発展に加えて、最初の発展段階においては、一定の人口密度になるような地理的制約が必要であったといえるのではないか。

1分間でわかる「ぼくらはSNSでモノを買う」

・フォロワー数はKPIになりえない

SNS運用はバズを生むことではない

上記がこの本を読むと理由も含めて理解できる。

 

ターゲット

SNSマーケティングって何?って人

SNSマーケティングって信用ならん、意味ないやろ?って人

◎個人で稼ぎたい人

◎企業でSNSマーケティング担当になる/最近なった人

  大事なのは完全に初学者向けである。

×SNSマーケティング中級者/上級者

 

要約

※{}は 私の感想です。

現代において、コンテンツ(=モノ)を売るにはSNSでのUGCが大事。

UGCとはUser Generated Contentsの頭文字をとったもので、つまりTwitterInstagram、ブログ、Amazonレビューなどにおいて

口コミをユーザが作成するものである。

現代の消費者は口コミやレビューなどからモノを買うことが多いので。

{確かに私もInstagramで見た場所に行ったり、Twitterで見た本を買ったりしてるなと気づいた。}

なので、マーケターはいかにUGCを生み出すかを考える必要がある。

フォロワーやバズはUGCを生むための一つの指針でしかない。

PayPayの100億円キャンペーンがいい例。当たったらツイートしたくなる。なんなら外れでもツイートする。

ツイートを見た人がPayPayを検索する。自分もインストールしてみる。という流れ。

{確かにTwitterで見たからPayPayインストールしたなあ。}

UGCを生むには誰かの問題を解決してあげる必要がある。

{先ほどのPayPayの例でいうと、お得に買い物をしたいというユーザの課題を解決しているのだと思う。}

誰かの問題を解決するには以下2点が大事としている。

・ペルソナ(想定されるユーザ)の具体化

誰の、どんな課題を、どのように解決するのかを明確にする。

・ペルソナのカスタマージャーニーの設定

ペルソナがどのタイミングでどういう行動をとりたいのか、その行動をとったあとどういう気持ちになるのかを洗い出す。

そうしてコンテンツを売って、UGCを生み出む、そのUGCを見た別のユーザがまた興味を持ち、コンテンツを購入してもらう。

つまり、コンテンツ提供⇒UGCの発生⇒認知創出⇒検索⇒コンテンツ購入のサイクルを作ることがSNSマーケティングに求められる。

 

感想

時間はないけど、この本の内容を知りたい人向けに書いてみたが、いかがだったでしょうか。

これも一種のコンテンツなので、私の設定したペルソナである方に届けばいいと思う。

【書評】ポピュリズムとはなにか

 

一言でまとめるなら、なんかよくわからない危なっかしい運動(トランプ旋風とか国民戦線とかEU離脱とか)がなんでこんなに国内外問わず同時多発的に起こっているのだろうと疑問に思う人に読んでほしいです。少しnewsweekとか`ロイター、BCCとかを見るのが楽しくなります。


以下、少し丁寧に。
作者は水島治郎という方で、現在千葉大学政経学部教授をしております。彼はこの本で2017年第38回石橋湛山賞受賞してます。

オランダ政治史を専門としており、昨今のオランダにおけるオランダ自由党フォルタインなどの台頭、他国(米国、英国、日本など)においても同様の事象が発生していることを感じたため、ポピュリズムを包括的に取り上げる必要性を感じ、この本を執筆したようです。

おおまかな構成は以下のとおりです。
第1章にて、ポピュリズムやデモクラシーの定義、ポピュリズムのデモクラシーへの影響、対処法など通説の展開。
第2章から第6章は具体的な事例(米国、英国、日本、アルゼンチン、スイス、オランダなど多岐にわたる)の例示。
最終章である7章で各事象の共通項から現代のポピュリズムについて特徴の整理。
全体的に非常に論理構成が明確で、難しいのに読みやすいです。
特に1章と7章が楽しいです。間の個別事例はその国とかに詳しければもっと楽しいんだろうなという感じました。


特に一番楽しかったのは、
イスラム・反移民を訴える党とその支持者はリベラル(自由主義、男女平等)を掲げているという点でした。彼らはリベラルではないイスラムを排除するというロジックです。リベラル的な思想において、リベラルではないという自由を許容しないというある種の自己矛盾を内在化しているということを意味していると思います。
この点においてポピュリズムの奇妙さを見るのだなと納得しました。


ポピュリズムに対する態度を改めて自分に問いただしたい人におすすめです。